明治維新によって藩政が廃止され、廃藩置県を経て加古川周辺は兵庫県の管轄となった。明治政府の近代化政策は、この地にも大きな変革をもたらした。明治時代には鉄道が敷設され、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)の開通によって加古川は鉄道の要衝となった。加古川駅が設置されたことで交通の利便性が飛躍的に向上し、周辺地域との人・物の往来が活発化した。また加古川線の前身となる鉄道も整備され、内陸部との連絡も強化された。
産業面では従来の農業・繊維業に加えて、近代的な工場も設立されるようになった。教育制度の整備により小学校が各地に設置され、若い世代が新時代の教育を受けるようになった。地方自治制度の確立によって町村制が施行され、地域の自治組織が整えられた。明治末から大正にかけては社会インフラの整備が進み、道路・橋梁・通信施設などが次々と建設された。
この時代の近代化の波は伝統的な社会構造を変革し、加古川市は農村中心の社会から近代都市へと変貌させていく大きな転換点となった。
タグ:歴史スナックバーひとり加古川

